1988年ソウルオリンピック
韓国は、2018年ピョンチャン(平昌)冬季オリンピックを開催したことにより、1988年ソウルオリンピックと合わせてオリンピックを2回開催した国となりました。1988年ソウルオリンピックの大会理念である「調和と前進」、そして「世界はソウルへ、ソウルは世界へ」というスローガンは、当時のソウルが迎えた時代的な挑戦でもありました。ソウルは1986年アジア競技大会、1988年ソウルオリンピック、1988年ソウルパラリンピックと相次いで開催を行うことで、大規模開発により体育施設と都市基盤施設を優先的に拡充し、市民の暮らしと文化インフラを改善するのに総力を傾けました。その結果、チャムシル(蚕室)とオリンピック公園が新しく都市空間に加わり、ハンガン(漢江)はメトロポリス・ソウルの中心的空間かつ市民のための余暇空間として生まれ変わりました。地下鉄2・3・4号線など交通ネットワークが拡大されたことでカンナム(江南)地域が新しい都市の中心として急速に成長し、カラーテレビや自家用車文化など、1980年代を特徴づける新しい市民の生活文化が生まれました。このように、1988年ソウルオリンピックは韓国社会とソウルを飛躍的に発展させる原動力となったのです。
ソウルオリンピック開催30周年を記念し、ソウルの半世紀を振り返ってみましょう。ソウルはどのようにしてオリンピックの開催都市となったのか、またオリンピックをきっかけにソウルの都市空間と市民の暮らしぶりはどのような変化を遂げたのかを、時代と交感しつつ学んでいく展示となることができれば幸いです。
[展示構成]
展示にあたって
1部 1988年、オリンピックとソウル
1. オリンピック、奇跡を現実に
2. 1986年と1988年、ソウルで開催されたスポーツの国際大会
2部 1988年ソウルオリンピックとソウルの空間の変化
1. チャムシル(蚕室)総合運動場とオリンピック公園
2. 「水の公園づくり」、ハンガン(漢江)総合開発事業
3. オリンピックのための都市ネットワークの拡大
4. オリンピックのための都市開発、その明と暗
3部 オリンピックと1980年代のソウル文化
1. 激動の1980年代
2. オリンピックと「ニューライフ」
エピローグ